安井金比羅宮
安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)について
御祭神
大物主神(おおものぬしのかみ)
崇徳(すとく)天皇
源頼政(みなもとのよりまさ)公
由緒
社伝によると、保元の乱に敗れて讃岐(香川県)で崩じた崇徳天皇の霊を慰めるため、建治(けんじ)年間(1275~77年)に後白河法皇の命で大円(だいえん)法師が建立した光明院観勝寺(こうみょういんかんしょうじ)が起こりと言われています。
応仁の兵火により荒廃し、元禄(げんろく)8年(1695年)、太秦(うずまさ)安井(右京区)にあった蓮華光院(れんげこういん)が現在の地に移建され、その鎮守として、崇徳天皇に加えて、讃岐金刀比羅宮(ことひらぐう)より勧請した大物主神と源頼政公を祀りました。
このことから、安井の金比羅さんの名で知られるようになりました。
また、悪縁を切り良縁を結ぶ「縁切り神社」として有名です。
安井金比羅宮の写真
(撮影日:2019年4月9日)
鳥居
拝殿
本殿
縁切り縁結び碑(いし)
御祭神である崇徳天皇自ら国家安泰を祈られ、もろもろ一切を断って祈願されたという故事に習い、江戸時代より断ちもの祈願の習わしが続けられ縁切り祈願が生まれました。
高さ1.5m、幅3mの石で、上部から亀裂をつたって神の力が中央の円形に注がれています。
願いを神札に記し、心に祈りを込めて、神札を持って円形に向かって表から裏へくぐり(縁切り)、裏から表にくぐります(縁結び)。
そして、神札を碑に貼ります。
久志塚
櫛に感謝の誠を捧げ、使い古したり痛んだりした櫛を供養する第一回櫛まつりが、昭和36年(1961年)9月4日に、風俗研究家の故・吉川観方先生の御賛意を得て始められました。
翌年に「久志塚」が建立されました。
久志塚の傍らの像は「吉川観方先生小直衣像」です。
八大力尊社
八大力尊はこの地にあった蓮華光院の御堂の柱を支えた力石であったと伝えられています。
安井金比羅宮の鎮座する東山安井には、明治時代まで安井門跡「蓮華光院」という真言宗の寺院がありました。
明治維新後の神仏分離の影響を受け、明治4年(1871年)鎮守社であった金比羅宮のみが残され、寺院は大覚寺へ合併され廃寺となりました。
その後、地中より発見された御像を奉祀したのが八大力尊社と言われています。
蓮華光院ゆかりの八体の御石像は、基礎の一部として建物を支え続けたことに由来し、基礎を固めて困難や逆境に打ち勝つ力、社会を生き抜く能力を授けてくださる神様として崇敬されています。
境内では桜が綺麗に咲いています。
安井金比羅宮の御朱印
安井金比羅宮の所在地