車折神社
車折神社(くるまざきじんじゃ)について
御祭神
清原頼業(きよはらのよりなり)公
由緒
御祭神である清原頼業公は平安時代後期の儒学者で、天武天皇の皇子・舎人親王の御子孫にあたり、一族の中には三十六歌仙の一人である清原元輔、その娘、清少納言らの名も見られます。
平安時代末期の1189年、頼業公が逝去され、清原家の領地であった現在の社地に葬られ、そこに廟が設けられました。
やがて頼業公の法名「宝寿院(ほうじゅいん)殿」に因み、「宝寿院」という寺が営まれました。
室町時代に至り、足利尊氏により嵐山に天龍寺が創建されると、その末寺となりました。
頼業公は生前、桜を愛でられたのでその廟には多くの桜が植えられ、創建当初より「桜の宮」と呼ばれていました。
後嵯峨(ごさが)天皇が嵐山の大堰川(おおいがわ)に御遊幸した時に、この社前において牛車の轅(ながえ)が折れたので、「車折大明神」の御神号を賜り、「正一位」を贈られます。
これ以後「車折神社」と称することになりました。
(『車折神社のパンフレット』より参照)
車折神社の写真
大鳥居
社号柱
表参道
清めの社
現在では悪運を浄化するパワースポットとして知られています。
拝殿
御祭神:天宇受売命(あめのうずめのみこと)
神代の昔、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天の岩戸に入り、この世が暗闇になってしまった時、御祭神である天宇受売命が岩戸の前で演舞されたところ、天照大御神は再び御出現になり、この世は再び光を取り戻しました。
この神話に基づき、あらゆる芸能・芸術の分野で活躍する人たちに強い信仰があり、芸名・ペンネーム・劇団名などを記した朱塗りの玉垣が2000枚以上奉納されています。
水神社(龍神様)
御祭神:罔象女神(みずはのめのかみ)
昔、大堰川がこの近くまで流れていた頃、氾濫を鎮めるために水神様(龍神様)に祈願していたことに由来する神社です。
清少納言社
車折神社の御祭神である清原頼業公と同族である清少納言を祀る神社です。
平安中期の女流文学者である清少納言は「枕草子」の筆者として著名ですが、その生没年、墓所などが定かでないので、清原氏ゆかりの車折神社に祠を築き、その御霊を祀ることにしました。
八百万(やおよろず)神社
あらゆる神々(八百万の神々)を祀る神社です。
弁天神社
弁天様(市杵島姫命(いちきしまひめのみこと))を祀る神社です。
裏参道入り口
早咲きの桜から遅咲きの桜まで約15種、40本の桜があります。
車折神社の御朱印
車折神社の所在地