湊川神社
湊川神社(みなとがわじんじゃ)について
御祭神
楠木正成(くすのきまさしげ)公
由緒
延元(えんげん)元年(1336年)、楠木正成公は兵庫湊川で足利尊氏(あしかがたかうじ)と激戦の末、殉節を遂げられました。
以来、地元の人は正成公を慕い、塚(お墓)を大切に守ってきました。
元禄(げんろく)5年(1692年)、徳川光圀(とくがわみつくに)公(水戸黄門)によって「嗚呼忠臣楠子之墓」(ああちゅうしんなんしのはか)が建立されました。
幕末から維新にかけて正成公の御神霊をお祀りしたいという国民運動が盛んになり、明治元年(1868年)、明治天皇は神社を創建するように命じ、明治2年(1869年)、墓所、殉節地を含む7,232坪(現在7,666坪)を境内地と定められました。
明治5年(1872年)、湊川神社が創建されました。
(『湊川神社のパンフレット』より参照)
湊川神社の写真
表門
参道
社殿
現在の社殿は戦災によって焼失したものを、昭和27年(1952年)に復興新築されたものです。
鉄筋コンクリート造で建てられています。
拝殿天井の絵がとても美しいです。
殉節地
延元元年(1336年)、正成公が殉節された場所と伝えられています。
御墓所
正成公及び一族等の墓所
元禄5年(1692年)、徳川光圀公(水戸黄門)によって「嗚呼忠臣楠子之墓」が建立されました。
この墓碑の建立によって正成公の御成徳は宣揚されるとともに、幕末勤王思想の発展を助け、明治維新への力強い精神的指導力となりました。
頼山陽、吉田松陰、三条実美、坂本龍馬、高杉晋作、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文等はこの墓前にぬかづいて報国の至誠を誓い、国事に奔走しました。
親子さざれ石
この姿がまるで正成公が兵庫湊川での戦いの前に桜井の駅(現在の大阪府高槻市島本町)で我が子、正行(まさつら)公に後事を託して別れた姿を彷彿させることから「親子さざれ石」を名付けられました。
菊水天満神社
撫で牛
楠本(くすもと)稲荷神社
湊川神社の御朱印