厭離庵
厭離庵(えんりあん)について
御本尊:如意輪観音
宗旨:臨済宗
山号:如意山
由緒
藤原定家が住んでいた山荘の旧跡で、小倉百人一首を編さんしたところです。
しばらくして、荒廃し定家の子孫である公家の冷泉家が修復し、霊元法皇により「厭離庵」の寺号を賜りました。
1772年より臨済宗天龍寺派となり、白隠禅師の高弟霊源禅師が開山しました。
男僧四代続きましたが明治維新後、再び荒れ、1910年(明治43年)貴族院議員白木屋社長の大村彦太郎が仏堂と庫裡を建立し、山岡鉄舟の娘である素心尼が住職に就き、それ以降尼寺となりました。
(『厭離庵のパンフレット』より参照)
厭離庵の写真
(撮影日:2019年11月27日)
紅葉シーズンに限り一般公開していて、散り紅葉が美しいお寺です。
2019年は11月1日から12月7日まで公開しています。
撮影日はちょうど見頃で、散り紅葉は来週以降になりそうです。
厭離庵の御朱印
藤原定家が詠んだ歌です。
「来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに 焼くや藻塩(もしほ)の 身もこがれつつ」
厭離庵の所在地